塞翁が馬塞翁が馬2006年09月28日 次男くん、今朝も洗濯物をたたみ、洗濯したばかりのものを干して、夕ご飯のお米を洗ってくれています。 よく働きます。 次男のお手伝いは、言葉によるコミュニケーションの代わりだと思います。 「お母さん、朝から仕事か。たいへんやなぁ。」と言う代わりにテーブルにランチョンマットを敷いてテーブルセッティンをしてくれるのでしょう。 「お母さん、洗濯物多いなぁ。」と言うかわりに「うんしょ、どっこいしょ。」と言いながら洗濯機から洗濯物を取り出し、カゴに入れてベランダに運んでくれるのでしょう。 「お母さん、この靴下、お母さんのやろう。」と言う代わりに「はい!」とだけ言って、ひとつにまとめた靴下をポ~ンと投げてくれるのでしょう。 その度に、私は「ありがとう。ありがとね、次男くん。」と言い、次男は「へへっ」と笑うのです。 昨日のフクロウも「お母さん、お母さん、あのなぁ、今日こんなことがあったんやでぇ。。。。」 と言えない次男が、言えない代わりにしたのでしょう。 何を言いたかったのかは、謎のままですが、苦しいことではないようです。 言葉が上手く話せたらいいなぁと思うことはたくさんありますが、これはこれで、けっこう楽しいです。 良い職場、良い援助者に囲まれているからこそではありますが、意外と不都合は少ないです。 言葉がたくさん話せるのに日常生活や学校、職場、作業所で不都合が多い人達はたくさん居ます。 話して良いとき、話してはいけない時。 話して良い内容、話してはいけない内容。 が、わかりにくいせいでしょうか。 人間関係につまずいて、次々と居場所を移ることになるようです。 次男に限らず、話せないけれど不都合が少ない人達はたくさん居ます。 話さない代わりに手を動かす(仕事をする)からでしょうか。 そんな人達の存在がいつも私に勇気をくれました。 会話は出来なくても彼らはプロフェッショナルなのです。 彼らは、”必要とされる人” なのです。 だから、”居場所” と ”自信” があります。 次男も”必要とされる人” なってほしいです。 次男も”居場所” と ”自信” がある人になってほしいです。 不可能ではないな。。と、やっと最近になって思うことが出来るようになりました。 次男は、 ”自分の周りには、自分には理解できない物事や流れが確かにある” と早くから気がついていたように思います。 自分は、他の人達とは ”違う” と早くから気がついていたように思います。 ”自分を知る” ということは、とても大事なことだと思いました。 次男が ”自分を知っている。” ことが私の胸を痛くさせましたが、この人の為に頑張ろうと思いました。 何が幸いするのか、そうでないのかは、一概にはわかりません。 次男の弱点を補強し、援助体制を構築しながら、次男の良いところを最大限に活かしてやりたいです。 ジャンル別一覧
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